40年前のカナダ・アメリカ体験記–ある主婦の記録

 

1958年から1960年までの3年間私は主人の留学に同行してカナダオンタリオ州のハミルトン市とアメリカ・コネチカット州ニューヘブン市に滞在した。当時私立中学の教師の私は大学助手の主人と共働きで暮らしていた。しかし間もなく私は妊娠した。出産すれば教師の職を失うことは確実であった。主人の安月給では東京ではとても生活できそうもなかった。窮余の一策で主人はカナダの政府奨学金に応募したところ採用され、月々約500ドルの奨学金を受けられることになった。当時のカナダドルは1ドル365円であったから、日本円にして約18万円の高給であった。こうして私は生後6ヶ月の長女をつれて主人と共にハミルトンに脱出した。長女の名前は生まれたとき既にカナダ行きが決まっていたので主人の母が加奈子と名付けた。以下は未だ高速道路も無かった、”低開発国”日本から突如”先進国”にわたった私達の奮戦記である。

目次

 

1 カナダへーはじめての飛行機

2 ハミルトンでの生活-大学宿舎2−1/2号-愛車フォルクスワーゲン購入

3日系カナダ人清水さん/パーティー/ヤン・モンスター/国境で拘束される/ビアホールと車事故/トロント/ラクーンとスカンク/メイド・イン・ジャパン

4 コントラクトブリッジ/移り変わる季節/アルゴンキンパーク/淳の誕生/オタワとモントリオール/ストーリー・ブック・ガーデン/また国境で拘束された話

5 ドライブインシアター/ハミルトンからニューヨークへ移住/ジャパニーズレストラン富士/ブランフォードに落ち着く/スキナー一家/テレビを買う

6 エール大学の日本人/音楽鑑賞/ニューヨークで日本食品を買う/ニューヘブンへ引っ越す/パトカーで救急病院へ/いよいよ帰国

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